神様に愛される子どもたちの園

横浜駅に程近い、自然豊かな小高い丘の上にあるキリスト教の園です。

認定こども園捜真幼稚園2018年12月園だより

2018年11月26日(月)

「当てはずれの神」
 
コリントの信徒への手紙二12章1-10節

 信仰を持っていても、苦難はあります。祈っても、思い通りにならないことがあります。人間の願いがそのままかなうことが、本当の意味で、私たちにとって一番良いわけではないからです。
 しかし、苦難に出会うときに、わたしたちを苦しめるのは、苦難そのものだけでなく、孤独感、不安感です。「自分が神様から見放されてしまったのではないか。忘れられているのではないか。この先、どうなっていくのだろうか。」そのような思いが苦難そのものよりも私たちを苦しめるのかもしれません。
パウロは「とげ」という言葉で象徴している何らかの慢性の病をかかえていました。その「とげ」を取り除いてくださるようにと何度も祈りましたが、その祈りは聞かれませんでした。しかし、神様は「わたしの恵みはあなたに十分である」と答えられました。「癒してください」という祈りに対して、YesでもNoでもなく、「(すでに)恵みは十分だ」という答えだったのです。パウロが自分の弱さを知れば知るほど、必死に神様に祈り、寄り頼んだ結果、かえって神様は、彼を大きく用いられました。パウロの祈りは「祈りが神に届く」という意味で祈りは聞かれていたのです。その意味で、聞かれない祈りはありません。そして、彼の願いどおりにならなかったということが、実は、神様の深い配慮に満ちた恵みでした。
パウロにとっては、癒されないことこそが、「思い上がること」から守られるために必要だったのです。
 事故で首から下の自由を失い、口に絵筆をくわえて詩と歌を描き続けている星野富広さんという方がおられます。彼の詩に「当てはずれ」という題の詩があります。
「当てはずれ」
  「あなたは私が考えていたような方ではなかった。
       あなたは私が思っていたほうからは来なかった。
          私が願ったようにはしてくれなかった。
             しかし、あなたは私が望んだ何倍ものことをして下さっていた。」
「あなた」とは言うまでもなく、「神様」のことです。「して下さっていた」とは、その当座は深い意味がわからなかったけれど、後になって気づかされた神様の恵みです。
わたしたちの神は、一見「当てはずれ」に思えることをなさるかも知れないけれど、わたしたちと共にいてくださり、私たちに最善を意図していてくださいます。その神様は人間となって、この世に来てくださいました。その出来事がクリスマスです。飼い葉桶の幼子は、状況の良し悪しにかかわらず神様が共にいてくださるというしるしです。このことを覚えてアドベントの時を過ごしクリスマスを迎えましょう。
                                        
理事長 小野慈美


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