神様に愛される子どもたちの園

横浜駅に程近い、自然豊かな小高い丘の上にあるキリスト教の園です。

認定こども園捜真幼稚園2019年5月園だより

2019年4月25日(木)

『ひとりひとりの名を呼ぶ神様』
 

「あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。」(旧約聖書イザヤ書43章1節)

 わたしは、かつて、地方の幼稚園の園長をしていました。全園児が40名ほどの小さな園です。そのとき、神様のお気持ちがわかるような忘れがたい経験をしました。"しゅうしゅう"という3歳の男の子が入園してきました。この子は、自閉症でまったく言葉が出ません。始めの頃は、保育時間中にお母さんが幼稚園にいないと落ち着きませんでした。数か月たってだんだん慣れてきて、ひとりでも幼稚園にいられるようになりました。でも、わたしが握手をしようとしても、手を出しませんでした。他の園児たちは、わたしが「○○ちゃん、おはよう」と声をかけると、「園長先生、おはようございます」と返事をしてくれて、握手をしてくれました。でも、しゅうしゅうだけは言葉によるコミュニケーションはできないし、頭をなでようとすると、いやがりました。でも、何とかしてコミュニケーションをもちたいと願って、名前を呼んで「しゅうしゅう、おはよう。しゅうしゅう、元気かい」声をかけ続けました。40人の園児のうち39人とは名前で呼び合えるのに、この子は、わたしにとっては失った羊(ルカによる福音書15:4-6)のように思われました。

間もなく一年が過ぎようとする2月のある日のことでした。一日の最後の集まりをしているとき、わたしはしゅうしゅうのいるクラスに入っていってこどもたちの様子を見ていました。こどもたちは担任の先生の周りに半円形の輪になっていすに腰かけていました。しゅうしゅうのいすは空いていて、彼は部屋の反対側のほうでごろごろしていました。わたしは半円形に座っているこどもたちから少し離れた後ろのほうに子ども用のいすを持っていって腰掛けました。するとしゅうしゅうが立ちあがって、輪の中の自分のいすの方に向かって歩き始めました。そして自分のいすに腰掛けるのかと思ったら、なんと途中で向きを変えて、わたしのひざの上にちょこんと座ったのです。おおげさに聞こえるかもしれませんが、そのときのわたしは天にも昇る気持ちでした。しゅうしゅうをひざにのせながら、「ヤッター」と叫びたいほどでした。わたしにとっては、40人のこどもたちすべてがかけがえのない園児でした。しかし、それまでは、この子だけはわたしにとっては失われた存在でした。その子がついに、わたしの呼びかけに気づいてことばで「園長先生」と応えてはくれないけれど、からだ全体でわたしを受け入れてくれた。ついに一人の園児として関わることができるようになった。担任の先生と目が合って、しゅうしゅうをひざにのせたままわたしは思わずガッツポーズをしてしまいした。そのとき思いました。神様はきっとこんなお気持ちで、わたしたち一人ひとりを心にかけておられるのだなと。
  神様は人類一般としてではなく、一人ひとりを固有のかけがえのない存在として名前を呼んで愛してくださっています。捜真幼稚園では、神様のこのまなざしを覚えながら、子どもたち一人ひとりを大切にしています。園生活をしていく中で、子どもたちが「自分は神様に愛されている大切な存在なのだ。」ということを豊かに経験し、その上で「お友だちも同じように大切なのだ」と知っていってほしいと願っています。

理事長 小野慈美


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