神様に愛される子どもたちの園

横浜駅に程近い、自然豊かな小高い丘の上にあるキリスト教の園です。

認定こども園捜真幼稚園2020年6月園だより

2020年5月26日(火)
「私はあなたの名を呼んだ。あなたは私のもの。・・・あなたは私の目に貴く、重んじられる。」
(聖書協会共同訳 イザヤ書43:1、4)
つき組の園児たちが入園して最初の数カ月は、子どもたちは、私が誰であるか知りません。子どもたちにとって、私は、初めは「一般的なおじさん」の一人だったのですが、しばらくすると、おじさんはおじさんでも、捜真幼稚園にいる「オノシェンセという名の特別なおじさん」になります。名前はその人が、特別な存在であることのしるしです。同じように、神様は、わたしたちを人類として見ておられるのではなく、ひとりひとりをかけがえのない固有の存在として、名前を呼んで愛してくださいます。ルカによる福音書15章4-6節に「見失った羊のたとえ」があります。100匹の羊のうち1匹がいなくなったら、羊飼いは99匹を野原に残して見失った羊を必死に捜すだろうというのです。羊飼いは一匹一匹に名前を付けて呼んでいたにちがいありません。ですから、いなくなった一匹は100分の1ではなく、たとえば「メータロウ」という名の一匹なのです。99匹がどうなってもよいということではなく、"どの一匹がいなくなっても羊飼い(神様)は同じことをする、一匹たりとも失いたくない、そのためにはどんな犠牲をも惜しまない"というのが、このたとえのポイントです。かつて勤務していた園で、私はこの羊飼いの心に触れるような経験をしました。言葉が全く出ない自閉症の男の子が入園してきました。最初の二か月は、母親なしでは幼稚園にいられませんでした。やがて、ひとりで幼稚園にいられるようになり、担任の保育者におんぶするようになりました。しかし私が握手をしようとしても、反応がありませんでした。他の園児たちは、「〇〇ちゃん、おはよう」と言うと「園長先生、おはようございます」とあいさつしてくれますが、この子とは園児と園長の関係が持てませんでした。それでも私は、「S君おはよう、S君元気かい」と声をかけ続けました。間もなく一年が過ぎようとする二月のある日、一日の最後の集まりをしているとき、私はS君のいるクラスに行きました。子どもたちは保育者の周りに半円形に腰かけていました。部屋の隅でごろごろしていたS君が、立ちあがって歩き出しました。なんと途中にいた私のひざの上にちょこんと座ったのです!おおげさに聞こえるかもしれませんが、天にも昇る気持ちでした。36人すべてがかけがえのない園児でしたが、S君とだけは関わりを持てずにいました。しかし、ついに一人の園児として関わることができるようになったのです。「見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください」(ルカ15:8)という表現は決しておおげさではなく、神様は人間一人一人に対して、このような思いを持っておられるに違いないと感じさせられた経験でした。捜真幼稚園の教職員はこのような神様の思いを共有し、子どもたち一人一人を神様に創られ愛されている尊い存在として、敬意を払いながら保育をしています。            
理事長 小野慈美
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