園からのお知らせ

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認定こども園捜真幼稚園2022年8月園だより

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」

                            (テサロニケの信徒への手紙一 5章16-18節)

 この言葉は、1世紀のキリスト教の伝道者パウロという人が書いた手紙の一節です。パウロは、決して楽天主義を勧めているのではありません。彼はさまざまな苦しみを人一倍味わった人でした。
どう考えても喜べないこと、感謝できないことがあることは確かです。しかし彼はどんなときにも神様に祈ることができ、その神様は苦難の時にも決して自分を見捨てたのではないということを確信していました。そのことが喜び、感謝のみなもとでした。

  『主イエスと共に』(Walking with Jesus)というさんびかがあります。
「主イェスと共に歩きましょう、どこまでも。主イェスと共に歩きましょう、いつも。
うれしい時も、悲しいときも(主イエスと共に)歩きましょう、どこまでも。
うれしい時も、悲しいときも(主イエスと共に)歩きましょう、いつも」。

「うれしい時も、悲しい時も」と訳されている部分は、もとの英語の歌詞では、
“Waiking in the sunlight walking in the shadow”となっています。
人が生きていくときに、陽の当たる道だけでなく、暗い道を歩くことがあるのは当然です。でも、人となった神であるイエス様は、どんなときにもわたしたちと共にいてくださいます。暗い道を歩いているときも孤独ではないことを知っていると、慰めと励ましを与えられます。

パウロはフィリピの信徒への手紙には、このように書いています。
「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリピ4:6-7)
ある人が「人に言うと愚痴になることも、神に言うならば祈りになる。」
と言いました。祈りとは、整った美しい言葉でなくても良いのです。自分の思いを正直に神に「打ち明け」て良いのです。そして、その祈りが、独り言ではなく、神に届いていることを信じることができるならば、あとは、神のなさり方にお任せすることです。
賢い親は、子どもの要求にそのまま応えることが最善ではないことを知っています。神さまも同じです。私たちの望み通りにはならないとしても、祈りが聞かれていないのではありません。祈りは届いています。祈りに対する神さまの答えは、Yesだけではなく、No, やWaitのこともあることを知っていれば、心が守られます。                          

理事長 小野慈美

 

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