園からのお知らせ

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認定こども園捜真幼稚園10月園だより

「一人より二人のほうが幸せだ。共に労苦すれば、彼らには幸せな報いがある。」

(旧約聖書 コヘレトの言葉4章9節 引用はすべて聖書協会共同訳)

前任の潮来(いたこ)幼稚園の園長をしていたとき、こんなことがありました。自由遊びのとき、ホールの隅で一人の女の子が、しゃがみこんでしくしく泣いていました。二人の女の子が通りかかり、「どうしたの」と問いかけました。でも、その子は顔をあげようとしません。二人は、どうしたら良いかわからず去っていきました。すると他の女の子が近づいてきて、そばにしゃがんで「〇〇ちゃん、どうしたの。どうして泣いてるの」と尋ねました。でも下を向いたままです。するとその友だちは、こんどは顔を床につけて、下から覗き込んで、「〇〇ちゃん、どうしたの」と尋ね続けたのです。泣いている女の子は、意外なところからの言葉かけに驚いたことでしょう。そして、下から見上げる友だちと目があったのでしょう。言葉のやりとりはありませんでしたが、泣きやみました。涙の原因がなくなったわけではないけれど、孤独ではないことを知って、慰められたのでしょう。顔を上げました。お友だちが手を取って「一緒に遊ぼう」と誘うと、二人で外に出て行きました。
一般的には、「幸せ」を「うまくいくこと」「快適さ」(身体的、精神的、社会的快適)だと考えます。しかし、聖書では、「幸せ」を単に状況が恵まれていることとはとらえていません。「幸せ」を、状況が恵まれていること(快適さ)と考えると、状況が悪くなったら、幸せにはなれないし、仮に、今状況が良いから幸せだと思えても、その幸せな状況が明日も続くかどうかわからないわけですから、その幸いは非常にもろいことになります。特に困難な状況に陥ったとき、さらに「幸せ」を奪うのは孤独感です。
「一人より二人のほうが幸せだ」。最初に紹介したエピソードは、この聖書の言葉の具体例を示しています。一人の女の子が悲しみの中に沈んでいた時に、そばにいてくれ、さらには、その気持ちを共有しようとしてくれている友の存在によって孤独感から救い出されたのです。困難な状況が取り除かれたわけではなくとも、慰めと力を与えられるのです。教訓として「思いやりのある人になりなさい」と言われただけで思いやりのある人間になれるわけではありません。泣いていた女の子は、他のお友達が泣いているのを見つけた時には、今度は自分が寄り添うことができるようになるでしょう。人は、自分が思いやりを受けることによって他者に思いやりを持つことができるようになるのです。幼児期に思いやりを受ける経験をたくさんすることが大切です。
それでも人は、他の人の困難な状況を共有することことには限界があります。しかし、イエス様はどんなときでも、私たちと一緒にいること、そして、共に生きることを約束してくださっています。「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:20)。「すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイ11:28)。聖書の語る「幸せ」は、状況の良し悪しにかかわらず、インマヌエル(神われらと共にいます)ことを知っていることです。捜真幼稚園ではこのイエス様の与えてくださる思いやりをこどもたちに伝えていきたいと願っています。         

理事長 小野慈美

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