認定こども園捜真幼稚園2月園だより
「弱い時にこそ強い」
「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(Ⅱコリント12:9)
初代教会の基礎を築いた使徒パウロは、慢性的な病に悩み、必死に癒しを祈っていました。パウロ自身が病人を癒す力あるわざを行っていましたから、神様は自分の病をも癒してくださるはずだと考えていました。ところが、真剣に何度祈っても癒されませんでした。そして、最後に与えられた答えは「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(Ⅱコリント12:9)というものでした。これは実に意外な答えでした。病が癒されることこそ恵みだと思っていたのに、何と、癒されないことこそ恵みなのだというのです。
実は、パウロはとても神秘的な体験をしました。宗教家がそういう体験をすると、自分を誇りたくなります。そして周囲の人々もパウロを神格化するようになることでしょう。パウロは、気付かされたのです。「もし、病が癒されて、思い通りに伝道することができていたら、いつの間にか、自分を誇るようになってしまったであろう。むしろ、弱いからこそ、必死に祈った。その結果、何かができたのだとしたら、それは私の力ではなく、神様の力に他ならない。だから私の場合は、癒されないことこそが『思いあがること』から守られるための恵みだったのだ」と。
星野富弘さんという詩人・画家が昨年亡くなりました。彼は、母校の中学の体育教師として赴任して間もなく、クラブ活動の指導中に落下して、頚椎を損傷し、首から下が動かなくなりました。その後、彼はキリスト者となり、口に絵筆を加えて、多くの詩と絵を残しました。その中に「当てはずれ」という詩があります。
「あなたは私が考えていたような方ではなかった。あなたは私が想っていたほうからは来なかった。
私が願ったようにはしてくれなかった。しかし、あなたは私が望んだ何倍ものことをして下さっていた。」
「あなた」とは神様のことです。神様は、人間の願いを必ずしもそのまま叶えてくださらないという意味では当てはずれなことをなさる。しかし、苦難のただ中にあるときには気付かなかったけれど、振り返ると、神様は良きことをしてくださっていたことがわかる。当てはずれの神であるからこそ、わたしたちが「こんなはずじゃなかった」というようなどん底にいる時でも共にいて支えてくださるのです。
理事長 小野慈美