園からのお知らせ

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認定こども園捜真幼稚園2018年3月園だより

「大丈夫だよ」 

 わたしの二人の娘たちが小さいころ、テレビを見ているときに時々こういうことをしました。怖い場面やはらはらする場面になると、座っていた椅子から立ち上がり、テレビを見ているわたしの後ろに来て、わたしの肩越しに、テレビを見るのです。そして、怖い場面が終わると、自分の椅子に戻ります。

 わたしたちの人生には、苦難や想定外の問題が起こります。もちろん、苦難は無いほうがうれしいですし、幸いを求める心が間違っているのでもありません。しかし、実際に生きていくときには、大小さまざまな苦難は避けえません。苦難の時にわたしたちをさらに苦しくするのは孤独感です。自分一人で孤独に担っていかなければならないと思うと、より一層苦難が重くなります。イエス様は十字架につく前に、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい」(ヨハネ16・33)と弟子たちに言われました。「わたしが一緒にいるから大丈夫だよ、勇気を出しなさい」と言ってくださるお方が共におられることを信じることができるならば、直面する現実は変わらなくても、生きていく勇気と力が与えられます。

 わたし自身も、これまでの人生の中で、重荷に押しつぶされそうになったり、課題を放り出して逃げ出したくなるような状況に陥ったことがあります。そのときは、本当に苦しくて、文字通り、泣きべそをかいていました。しかし、そのように情けない自分をありのまま正直にイエス様のもとに携え行き、おもちゃ箱をひっくりかえしたような祈りをしました。すぐに平安に満たされるということではなくとも、少なくとも自分が一人ではない、このように祈りをぶつけることのできるお方がおられるということは、大きな支えでした。そして、振り返ってみるときに、曲がり角、曲がり角で、自分が支えられていたことに気づくのです。

 最後に「足跡」という詩を紹介します。

Footprints (足跡)

ある晩、私は夢を見た。夢の中で私は、主(神)と並んで砂浜を歩いていた。
すると夜空に、私のこれまでの人生のいろいろな場面が映し出された。
ふと気が付くと、それぞれの場面についてふたり分の足跡が砂浜に残されていた。
ひとつは私の足跡、もうひとつは主のものだった。
最後の場面が映し出された後、わたしは振り返って砂の上に点々と残された足跡を見た。
するとひとり分の足跡しか残っていない場面がいくつもあるのに気付いた。
しかもそれらは、人生の中で、特につらく、悲しい場面ばかりだった。
わたしは戸惑い悩み、主にたずねた。
「主よ、私があなたに従って生きると決めたとき、あなたはずっと私と共に歩いてくださると約束してくださいました。それなのに、最も困難だったときには、ひとり分の足跡しかないではありませんか。私が最もあなたを必要としていたときに、なぜあなたは私を離れてしまわれたのですか。」
主は答えられた。
「わが子よ。私の大切な子よ。私はあなたを愛している。私は決してあなたを離れはしない。あなたの試練と苦しみのときに、ひとり分の足跡しかないのは、私があなたを背負っていたからなのだ。」(訳:小野慈美)

理事長 小野慈美

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