園からのお知らせ

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認定こども園捜真幼稚園2020年10月園だより

『たとえコロナの谷を歩むとも』

  

理事長 小野慈美

1 主は私の羊飼い。私は乏しいことがない。2 主は私を緑の野に伏させ、憩いの汀(みぎわ)に伴われる。
3 主は私の魂を生き返らせ、御名にふさわしく、正しい道へと導かれる。4 たとえ死の陰の谷を歩むとも、私は災いを恐れない。あなたは私と共におられ、あなたの鞭と杖が私を慰める。
(詩編23編1-4節【聖書協会共同訳】)
1)羊飼いのイメージとしての神
「主は私を緑の野に伏させ、憩いの汀(みぎわ)に伴われる」(2節)という言葉から、のどかな牧歌的な情景を連想するかもしれません。しかし、この詩の舞台となっている地域は、降水量が少なく、乾期の5-10月はほとんど雨がふりません。羊飼いは、草や水のある場所を知っていて、季節によって羊たちを移動させ、「正しい道」(3)に導いてくれます。移動の途中で「死の陰の谷」(4)のような危険なところも通らねばなりません。しかし、羊飼いは「鞭と杖」(4)で羊を守ります。「鞭」は、獣たちから羊を守るための金具の付いたこん棒です。また、羊は視力が弱いので、羊が道を外れそうになると「杖」で方向を示します。
2)たとえコロナの谷を歩むとも,災いを恐れない
 私たちは今、コロナという「死の陰の谷」を歩んでいます。コロナだけではありません。ますます激しさを増す自然災害。近い将来必ず起こる大きな地震。これらの災いから逃れることはできません。「災いを恐れない」(4)とは、災いは避けられないけれど、主が「私と共におられ」(4)私の魂を守ってくださるから、災いが私を滅ぼしつくしてしまうことはないのだという確信です。
コロナはやがて終息しますが、だれもが通る「死の陰の谷」があります。それは、死です。わたしたちはすべて「余命〇〇年」と宣言されています。ただ、その数字が知らされていないだけです。死という究極の「死の陰の谷」を通る時、自分がどうなるのかわからないという不安があります。しかし、その時には、その時の自分をそのまま神様に委ねて良いと神様は言ってくださっています。
逆説的な言い方をすれば、羊飼いである神様の御腕の中で、安心して恐れて良いのです。雷が鳴るとき、小さい子どもは身近にいる親に飛びつきます。そして、親の胸の中で、「ママ(パパ)が一緒にいるから大丈夫だよ」という言葉を聞くと、怖いままで安心できます。大人も同じです。強がってみせても、神さまはご存知です。ですから、死のみならず、自分ではどうすることもできない「死の陰の谷」の中を歩んでいるとき、「神様、怖いです」と訴えて良いのです。恐れたり不安になる自分を隠さず、そのまま神様に委ねる。委ねることのできるお方を知っていること、それが「災いを恐れない」ということです。    

(9月6日 捜真バプテスト教会礼拝メッセージより)
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