認定こども園捜真幼稚園3月園だより
いつも共にいてくださる主イエス様
旧約聖書の最初に、神様が作られた人、アダムとエバが登場します。アダムとエバは神様と一緒に園にいました。けれども、これだけは食べてはいけないと言われていた果実を食べ、自分たちが裸であることを知ります。そして神様の足音がきこえてくると、恐くなって木の陰に隠れました。人は、神様から隠れ、神様から離れていきました。神様が離れていったのではありません。神様はいつでも私たちを愛してくださっているのですが、人が神様からはなれていきました。旧約聖書には、このアダムとエバの物語だけでなく、人間の様々な罪が描かれています。けれども、この旧約聖書という書物は、救い主の誕生を預言した書物で、全体を通して救い主を指し示しています。旧約の“旧い約束”とは、私たちに救い主が与えられるという約束なのです。
新約聖書は、その救い主の誕生から始まります。先日、年長組さんが卒業記念品の聖書を手渡され嬉しそうにページをめくっていましたが、新約聖書は旧約の預言が成就されたこと、本当にそのようになったことを表しています。神様と人の間に、イエス様が来てくださったのです。救い主イエス様は、私たちが神様から離れてしまったことを、私たちに代わって十字架にかかり、ごめんなさいと謝ってくださったのです。そのことによって私たちはもう一度、神様とつながることができました。捜真幼稚園に入園し、初めてお祈りを覚えた子どもたち、保護者の皆様もいらっしゃったことと思います。お祈りの最後に“このお祈りをイエス様のお名前を通して御前におささげします”と祈りますね。この言葉は、まさに神様と私たちをつなげてくださっているイエス様を表しています。そして、新約の“新しい約束”とは、私たちに与えられた救い主がいつも、いつまでも共にいてくださるという約束です。
『わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』マタイ28:20
私たちはすぐに隠れたり、逃げたりするものです。これといった悪いことをしていなくても、自分をごまかしたり、「知ーらない!」とそっぽをむいてしまうものです。でも、そのような私たちにイエス様が与えられました。これは驚くばかりの恵みです。その恵みによって、一人ひとり、木の陰から出ていくことができるのです。もう、木の陰に身をひそめている必要はありません。イエス様と一緒に、そこから始められるのです。
今年度もコロナ禍にありましたが、イエス様と共に光の中で楽しむことが出来たこと、工夫しながら歩んでこられたことを感謝したいと思います。学年が一つ上がる皆さんのはじめの一歩に、園を巣立っていく皆さんのはじめの一歩に、イエス様が共にいてくださりいつも励ましてくださいますように祈ります。新約聖書の約束をいただいて喜びの道を歩んでいきましょう。
主幹保育教諭 黒坂 綾子