園からのお知らせ

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認定こども園捜真幼稚園2023年7月園だより

「主よ、朝ごとに、わたしの声を聞いてください」 詩編5編4節

お正月に多くの人が、初詣に出かけます。日本の伝統です。ところで、神社にお参りする時、その神社の神様がどのような神様であるかを知ってお参りしているでしょうか。さらに問うならば、その神様は、お参りをしているあなたのことを知っていてくださるでしょうか。
上記の言葉に出てくる「主よ」の「主」とは、もともとは聖書の神様の固有名詞である「ヤハウェ」という言葉を訳したものです。つまり、聖書の神様は、一般的な普通名詞としての「神」ではなく、お名前を持った人格的な存在であることを示しています。さらには、その「主」である神様は、人間に対しても、一人一人の名前を呼んで、応えてくださる神様です。ですから、「朝ごとに、わたしの声を聞いてください」と訴えることができるのです。
一般的に、「祈りが聞かれる」とは、祈りの内容である「願い」が実現することを意味します。しかし、聖書では、祈りは、神様との対話としてとらえられています。そして、神様は、いつでも祈りを聞いていてくださいます。
ただし、祈りが聞かれるとは、願いがそのまま叶うということではありません。人間の願いに対して、神様は、「Yes」ということもあれば、「No」ということもあります。また、「Wait」(待ちなさい、今はその時ではないよ)という答え、さらには、人間の思いもよらない仕方で応えてくださることもあります。
私の長女が1歳のころ、風邪を引くと、よく鼻を詰まらせました。苦しそうに息をしているので、私が娘の頭を押さえて、妻がゴムのスポイトで鼻水を吸い取ることをしていました。それは、娘にとっては苦痛でしかなかったのでしょう。娘は親のしていることの意味がわからないために、必死にのがれようとしました。妻は「ごめんね。でも、鼻が詰まったままだともっと苦しくなるからね。がまんしてね。」と言っていました。私たちも、神様のしておられることの意味がわからずに、「どうしてですか」と訴えたくなることがあります。そんなときに、神様はただ痛みを与えることだけのために、私たちに苦難を与えるわけではないということを思い起こしたいと思います。神様は人間の声を聞いてくださるお方であり、神様のなさりかたで応えてくださるのです。
最後に、新約聖書の中の多くの手紙を書いたパウロの言葉を紹介します。「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」
(コリントの信徒への手紙一 10章13節)

理事長 小野慈美

 

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