2025年11月園だより
皆さんが誰かにお子さんを愛していますかと聞かれたら、当たり前でしょと思われることでしょう。ではあなたのお子さんは、あなたに愛されていると感じていますかと尋ねられたらどうでしょう。疑念を抱かず「はい」と答えられるでしょうか。たとえ親子でもお互いの心を理解することは難しいものです。愛を誓った夫婦でも、親子であっても何でそんなことを言うの、どうしてわからないのと互いに理解し合えないことも起こります。その様な時には愛されていると思えなくなり、相手に愛を注げなくなる経験をすることもあるでしょう。
人は神さまの様に愛することはできないのです。旧約聖書の創世記にアダムとエバが神さまとの約束をやぶり禁断の果実を食べた時、アダムがその犯した罪をエバのせいにしたように、人間の愛は身勝手で心変わりするものなのです。つまり絶対的な愛は神さまの愛のみ、神さまの愛だけがどのような状況でも変わらない愛を注いでくださっているのです。その愛は、私たちが神さまを知る前から既に注がれていました。人は心変わりしますが、神さまの愛は心変わりしません。神さまの愛の内にいる平安を得るために、神さまは私たちに互いに愛することを求めています。
『愛する者たち。神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちもまた互いに愛し合うべきです。』ヨハネの手紙Ⅰ4章11節
1979年にノーベル平和賞を受賞したマザーテレサの語った言葉が綴られている『マザーテレサのことばに』には、愛はまずは家庭からとの題で「家庭を慈しみの場、限りなくゆるしあう場としなければなりません。今日では、だれもかれも非常に多忙になっています。より大きな発展、もっと豊かな富、もっともっと、と求めて。子どもたちは両親と過ごす時間がなく、両親はお互いのためにさく時間もありません。世界の平和の崩壊は、このようにして家庭から始まるのです。」と書かれています。人生は愛すること、そして、愛されることの喜びと共にあるものです。愛は「与えること」で一番良く表現されうるものです。それゆえ親が愛を与える役割、子どもは愛を受ける側ではなく。親も子も共に愛を注ぎそして受け、慈しみゆるしあうことで、互いに満たされ愛に生きることができるのではないでしょうか。欠けのある私たちをも愛し続けてくださっている神さまの愛に習い、私たちも他者を愛し合うことができるように勤めて行きたいものです。
皆さんもご家庭の中で育ち合い、愛し合う親子関係を大切に育み、子どもたちが愛を届けられる人へ、そして自ら平和を作り出す人へと成長するように、神さまの愛の中で互いに愛し合い祈りつつ歩んでまいりましょう。
