園からのお知らせ

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2025年8月園だより

「わたしもその中にいるのである」

皆さんは8月のイメージをどうおもちでしょうか。夏休みに過ごした幼い時の原風景、宿題の絵日記、帰省した思い出、アルバイトに明け暮れた学生時代、旅行の思い出といろいろと思い浮かぶでしょう。そんな中で私たち日本に住むものが必ず思い起こすのは長崎、広島の原爆投下とそれに続く終戦の日であり、平和とは何かを考える月でもあります。特に今年は戦後80年であり、にも関わらずいまだに戦争、戦争が絶えない現状であることを踏まえ、園でも子どもたちと平和について考えたいと思います。
子どもたちに平和って何だと思う?と聞くと、年長児くらいになると、「戦争じゃないこと」とか、「仲よくすること」と返ってくることがあります。これも平和の大切な一面ですが、私は、真の平和とは、ある意味自分を捨てることがスタートなのではないかと思います。自分を捨てるというのは自分の意見や考えを捨てるということではありません。人が集まって話し合いをしても、自分を主張するだけではそこに平和は生まれません。また、歩み寄ったとしても、自分が正しいと思っているうちは、心に平安はありません。お互いに聞きあって、納得して決めた結論でもかならずしも正しいとはいえません。自分の正義、自分たちの常識がすべてではないからです。これは戦後80年たっても戦争がなくならない現状を見れば明らかです。それならば完全なる神さまにおゆだねするしかないのです。自分の正義より、神さまの望んでおられる真の平和を祈り求めることが大切なのだと思います。
今月の聖句は「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」マタイによる福音書18章20節です。この「集まる」という言葉は、言語のギリシャ語では受動態で「集められている」という意味だそうです。「わたしの名」というのはイエスさまです。イエスさまの名によって集められている、それは教会であり、捜真幼稚園であり、私たちが守っている礼拝や小さな祈りの輪もそうです。イエスさまが集めてくださった私たちが、神さまの方を向いて集まり、祈るときに、イエスさまも共にいてくださり、決して変わらない神さまの真理に導いてくださるというのです。 いつまでも自分を捨てられない人間のために、イエスさまは十字架にかかってご自分を捨てられました。そのイエスさまは子どもたちを招かれ、「天の国はこのような者たちのものである」と言われました。(マタイ19:14)子どもたちが中心にいて、安心して笑ったり遊んだりできる、ここから平和が始まります。世界中の子どもたちの「今、ここで」が大切にされますように、祈り続けましょう。

園長 寺田千栄
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