園からのお知らせ

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認定こども園捜真幼稚園2021年5月園だより

「ホッとする愛」

あるとき、イエス様が多くの群衆に取り囲まれて歩いていました。その群衆の中に、一人の女性がいました。彼女は、「12年間も出血の止まらない」(マルコ5:25)病気で苦しんでいました。治療のために財産を使い果たしたにもかかわらず、悪くなるばかりでした。当時は、この種の病気は、単に体の病ということだけでなく、宗教的に汚れているともみなされ、人との接触が制限されていました。ですから、彼女は身体的、精神的な苦しみに加え、社会的にもNoと言われる苦しみの中に置かれ続けてきました。自分という存在を肯定できずに生きていたに違いありません。彼女は、イエス様のうわさを耳にし、「この方の服にでも触れれば癒していただける」と信じて、イエス様の服に触れました。すると病気が癒されたことを感じました。イエス様もその時ご自分から力が出ていくのを感じ、群衆をご覧になって「わたしの服に触れたのは誰か」と言われました。彼女は恐る恐る名乗り出て、ありのままを話しました。すると、イエス様は言われました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」(マルコ:34)。
私には、この女性の表情が目に浮かびます。イエス様の言葉を聞くまでは、うなだれて、どんなに厳しく叱られるかとびくびくしていたでしょう。しかし、「安心して行きなさい」という言葉を聞いたとたん、彼女は顔を上げました。驚きで目を見開き、さらにイエス様の優しいまなざしに出会って、喜びと安堵が全身に満ちていきました。心も体もホッとして帰って行きました。
絶えず「叱られるかもしれない」という恐れをもって生きていたら、たとえ叱られなくても、自分の行動に自信が持てず、びくびくしながら生きることになります。自己肯定感は育ちません。親子関係でも同じです。愛するとは、自分の良いと思うことを相手に押し付けることではなく、相手の立場に立って、相手を理解しようと努めることです。そのような態度そのものが愛なのです。その上で、自分にできることがあればするのです。イエス様は女の人を糾弾せずに、まず聞きました。
親として、お子さんの気持ちを考えないで、一方的に自分が良いと思う「正しさ」を押し付けていることはないでしょうか。もちろんしつけは必要ですし、叱らねばならないこともあります。しかし、何か言ったりやったりする前に、まず、お子さんの心を聴いてあげてください。特に、言葉にならない心の思いを、せかさずに、聞き取ってあげてください。そしたら、お子さんの「悪い」と見える言動が、ちっとも叱る必要なんかないことだということに気づかされることが多いのです。お子さんが、ただ、知らなかっただけのことなのであれば、「悪いこと」として叱るのではなく、すべきことを教えればよいのです。身に着くまで時間がかかることなのであれば、繰り返し忍耐強く伝えればよいのです。それでも、早とちりや怒りで叱ってしまったときには、後でこう言ってください。『そうだったの。気がつかなくてごめんね。』そういう一言が、どれだけ、お子さんを慰め、ホッとさせることでしょう。自己肯定感も養われます。親が謝るべきときに謝ることは、親の権威を失うどころかむしろ信頼を生み出します。「ホッとする愛」が、人を生かすのです 

理事長 小野慈美
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