園からのお知らせ

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認定こども園捜真幼稚園2021年9月園だより

9月2日から始業礼拝をもって2学期教育標準時間保育が始まりました。
緊急事態宣言中は午前保育になり、9月はPTA活動や子育て支援プログラムなどを中止いたします。
園だより巻頭言です。ご覧ください。

「互いに愛し合いなさい」

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」ヨハネによる福音書14:34
「わたしが愛したように」とは
これはイエス様が十字架につく前の晩「最後の晩餐」の席で、弟子たちに語られた言葉です。
イエス様と共にいた12人の弟子たちは、さまざまな背景を持った人たちでした。もし、イエス様が招いたのでなければ、普通だったら決して同じグループにはならないような人たちの集まりでした。その弟子たちをイエス様は愛されました。初めから「理想の弟子」像があって、弟子たちに対して、その理想の型にはまることを求めたのではなく、一人一人を固有の存在として認め、生かそうとなさったということです。
弟子たちは、イエス様と共にいて安心できたはずです。まず、無条件で自分の存在が受け入れられているということを感じることができたからです。自分以外の、何か型にはまった、理想的な「弟子」の姿になることを求められなかった。まず自分が自分であって良いという安心感があった。その上で、自分にふさわしい仕方で、イエス様に従って行けば良いのだ。みんなが同じになる必要はない。
 無条件の愛とは、存在の価値を無条件に認めることです。その人がその人であるということをまず受け入れることです。
「あなたがたも互いに愛し合いなさい。」とは
「愛し合いなさい」という言葉を、「仲良くし合う、互いに好意を持つ」という意味で理解すると、とても難しい戒めを与えられていることになります。しかし、愛するということは、好き嫌いとは別に、相手の存在、人格を尊重しようという態度です。私に対して神様はまず無条件に「あなたは大切な存在だよ」と言ってくださっています。そうであれば、神様のその言葉は、他者にも向けられていることを知ります。たとえ、自分と立場や考え方が違っていても、少なくとも他者の存在に対して敬意を払うようにしようというのが「愛する」ことの基本的な態度です。
親子の間でもそうです。子どもは、たとえ「我が子」であっても、「我が物」ではありません。もちろん、親として我が子を育てる責任はあります。しかし、「この子は、私とは独立したひとりの尊い人格なのだ。この子の存在の背後には、この子をお創りになった神様がおられるのだ」という「畏れ」(恐れではありません)を忘れないようにしましょう。我が子を自分の思い通りにしようとするのではなく、神様から託された尊い人格として重んじていきましょう。しかし、だからといって、甘やかしたり、ほったらかしにするのではありません。まず、受け容れて、その上で、その子がその子なりに成長するのを願い、必要な助けを与えることです。そのような愛で愛されると、人は、ほっとして、そして生きる力を与えられるのです。

 理事長 小野 慈美
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