園からのお知らせ

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2025年9月園だより

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」(詩編23編1節)

聖書の中では、しばしば、神様が羊飼い、人間が羊にたとえられています。イエス様もその比喩を使ってたとえ話を話されました。「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。」(新約聖書ルカによる福音書15章4-6節)

当時の実際の羊飼いは、100匹の羊であれば、一匹一匹を識別することができ、おそらく名前をつけて呼んでいたと考えられます。メイトロウ、メイキチ、メイリン、メイクイーンなどと。「九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回」るという行為が当然のことのように語られています。しかし経営的にいえば、たった1パーセントのために時間を使うというのは賢いやり方とは言えません。99パーセント残っているのだから、その99パーセントのことを優先する方が理にかなっています。しかし、羊飼いにとっては、見失った一匹はあくまでもあのメイタロウがいなくなったのであり、その代わりはいないのです。つまり、羊飼いにとっては、メイタロウは100分の1(1パーセント)ではなく、一分の一(100パーセント)の羊が100匹いるのです。他の99匹がどうなっても良いというのではなく、どの一匹も欠けがえのない存在だから失いたくないというのが羊飼いの心であり、天の神様のお心なのだということが「たとえ」で語られています。神様の愛は、最後まで無くなることはないので、人は、どんな状況に置かれても、「わたしには何も欠けることがない」と言えるのです。神様がこどもたち一人ひとりを大切な存在として見ていてくださるという根本的な視点を私たち教職員も共有して、保育に携わっていこうと願っています。

そして、もう一つ大切なこと。お父さんお母さんも神様から愛されていますよ!神様はあなたが「良い親」だから愛してくださるのではありません。あなたも、神様から造られた尊い存在として、すでに愛されています。たとえ失敗することがあっても、不十分であっても、神様はあなたの存在そのものを否定することはなさいません。お父さん、お母さん自身も愛されていることをぜひ知ってください。           

理事長 小野慈美
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