8月園だより
「平和な人には未来がある」(詩編37編37節)
<平和を奪うのは自己中心性>
戦後81年目の夏を迎えました。これからも「戦後」が続き、「戦前」にならないことを祈ります。
戦争は平和を奪います。平和を奪うのは「自己中心性」です。戦争指導者たちは、自分だけの正義を掲げ、自国の利益だけを求め、相手をおとしめます。しかし、このような態度は、個人同士の間にも見られます。何かにつけ、優位に立とうとする(マウントを取ろうとする)、他者を批判し、自分がまさっていることを示そうとする。反対に、自分の思い通りにならないと、ひがんだり、ねたんだりする。そういう態度が平和を奪います。
<平和を造り出すためには>
平和を造り出すには、どうしたら良いのでしょう。その逆をすればよいのです。マウントを取ろうとするのを止める。相手をはずかしめることをしない。自分が間違っていることに気が付いたら、卑屈にならずに謝る。「悔しい」という思いに支配されない。それは、自己卑下でも、自虐的になるのでもありません。真の誇り、誰も奪うことのできない「聖なる誇り」をもって生きることです。自分の存在価値の根拠を、優越感や他人からの相対的評価ではなく、神が与えてくださる絶対的な肯定に置くことです。「私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどれほどの愛を私たちにお与えくださったか、考えてみなさい。事実、私たちは神の子どもなのです。」(Ⅰヨハネ3:1 共同訳)
<神の子どもとしての「聖なる誇り」>
神の子どもとしての絶対的な価値を知って生きるならば、私たちはつまらないプライドから自由にされ、他人の評価に振り回されないでいることができます。もちろん、現実の不正や悪に対して、正しい仕方で戦わなければなりません。しかし、その上で、私たちの心が、憎しみや、恨みや、屈辱感に支配されたままでいることを神は悲しまれるのです。
神は願っておられます。「私に愛されているという『聖なる誇り』を持って生きてほしい。そして、身近な人に、愛と敬意をもって接するならば、あなたの生きる場が、平和の発信源となる。そこに未来がある。」
理事長 小野慈美
